日本厄洛斯(Nippon-Eros)は社会と性風俗をテーマにした見聞録です。

明治時代に描かれた福原じゃ。

       探訪記 日本福原

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〜概要〜
福原といえば日本屈指のソープ街じゃ。福原の歴史は深いと言われておるが、それは平清盛が首都を福原に遷した事が起源じゃ。しかし『驕る平家は久しからず。』という言葉のとおり福原への遷都は長く続かなかったんじゃ。(170日間)だから福原はそんなに栄えなかったし今の福原ソープ街は旧湊川の川っぺりの自然堤防(川の流れで自然にモッコリした痴態、否、地帯)だったんじゃ。多分、鷺や鴨がいて鮎も泳いでたり川釣りマニアにはたまらないスポットだったに違いないのー。
そんな福原ソープ街の原型が形成され始めたのは明治に入ってからじゃないかの。伴天連の國と結んだ不平等条約を解消するには伴天連…なんか問題ありそうな表現なので西洋人と言い直す事にするぞい。で、その西洋人を見習うことで西洋諸國と対等に肩を並べ不平等条約の解消をはかり当時の東南亜細亜諸國みたいに西洋の奴隷國家に落とし込められるのをなんとかして防ごうとしたんじゃ。これが世に言う柴田恭平じゃ。否、富国強兵じゃ。
というわけで国家予算から莫大な費用が外国からの技術と知識の輸入にあてられたわけじゃ。
西洋人をもてなせ、もてなせ、ワッショイ、ワッショイ。エロス方面でも、もてなせ、ワッショイ、ワッショイ。かの伊藤博文がそう言ったかは知らないが(当時の兵庫県知事は伊藤博文)兎に角、外国人居留地から通える範囲に外国人慰安所として遊郭ができたんじゃ。
「東の果ての國でさぞかし苦労なさってるんでしょうね。」なんて旦那を想う妻を尻目に西洋人であるところの旦那は大和娘のアソコも開國させておったんじゃの。
まあ、これが原型といえば原型なんじゃが、この遊郭はここから移転する事になる。
「神戸駅をここに作ろう!」「じゃ貨物置き場も要るね!」「でも、ここに線路ひくとなると遊郭が邪魔だなあ。」「じゃあ遊郭は移転させよう。」
無計画とシムシティ感覚でもって前述した旧湊川の川っぺりに移転したのが後に福原ソープ街となる福原遊郭なのじゃ。それから湊川は埋め立てられ新たに開かれた地は新開地とそのまんまの名称になり、新開地の北に湊川駅が出来、交通の便が良くなり寄席や映画館や神戸タワー、そしてそれらを囲む歓楽街は大盛況となったんじゃ。今じゃ考えられないかもしれんがこの一帯は日本一の娯楽産業の街だったんじゃ。
それが第二次世界大戦の空襲で神戸は甚大な被害を受け華やかだった頃の福原ではなくなっての…。それでも福原はメリケンが進駐するなかも粛々と復興していったんじゃ。
神戸博覧会でまた日本一の娯楽街に返り咲く気配はあったんじゃが売春防止法で赤線(國が認めた売春営業許可地帯)が撤廃って事になると福原遊郭から多くの郭が姿を消し、國の認可のもと生き残った店も小さくなっていったんじゃ。新開地駅が出来たりもしたけどそのあとの神戸タワー撤去そしてオイルショック以降は寄席や劇場、映画館の閉館が相次ぎ福原も新開地も衰退していったんじゃ。(当時、新開地には松竹座があったんじゃぞ。)
湊川公園駅が出来、バブル期になると、またも盛り返す時がやってきたかと感じられたけどバブルははじけ、阪神・淡路大震災では神戸全体が甚大な被害をうけたわけじゃ。
ゆえに、今、見ている福原ソープ街は最盛期と比べるとショボイ姿ということになる。
それでも、福原ソープ街に行った人はそんな風に思わないじゃろうの。
各店は新しい挑戦をして差別化をはかり、互いに競い合っておる。(ボディケア+ソープのアルファや学園系ソープのテイクプライド学園やSMソープの神戸R&Bといったコンセプトがハッキリしたお店が増えておる。)
福原ソープは変わらずあり続ける為に変わり続けているということじゃの。
                        2011.6.10   文/ベネディクト

ベネディクト博士
1941年バチカン生まれ
エロティック研究所所長
エロティック研究の為、世界を股にかけていたが最近ではスルッと関西が使える範囲のみで活動中。

福原京のあった雪御所町近辺は京っぽい地名が多いぞい。

埋め立てられた旧港川じゃ。

伊藤博文は明治時代の神戸都市計画にも関与しておった。
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